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Boat Withの検証結果や推奨利用方法は運営責任者である五十嵐 秀が監督しています。これまでの実績をもとに、数ある悪徳サイトの知識もしっかりと把握しており、どのサイトが信頼に値するのか細かく検証します。
Boat Withの五十嵐 秀です。
今回は競艇で発生した死亡事故についてご紹介します。
競艇は時速80kmにも及ぶスピードで1着を競い合う競技。
その臨場感は多くの競艇ファンを魅了してきました。
そんな競艇ですが選手は常に命がけ。
実際、レース中の事故で死亡してしまった選手もいるのです。
そこで、今回はそんな競艇で起きてしまった死亡事故をご紹介!
死因や実際の事故映像など詳しく解説しているので、ぜひ最後までご覧ください。
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目次
競艇で起きてしまった死亡事故はニュースでも大きく取り上げられ、各メディアで報道されます。
それだけ世間で注目を集めているということが分かります。
そんな競艇の死亡事故は実際どのくらいの頻度で起きているのでしょうか。
競艇の約60年にわたる長い歴史を遡り、徹底調査してきました。
その結果、現在に至るまでに33回の死亡事故が起きていることが判明!
単純計算で、2~3年に一度事故が起きているということです。
いかに危険なスポーツであるか分かりますよね。
この事実に、運営も防護服の改良や養成学校での安全指導の強化など取り組んでいます。
しかし、現状で競艇での事故を0にすることは難しいみたいです。
競艇はあくまでも選手あってのレースなので、早期に改善されることを願います。
競艇で起き得る原因の最も多くは転覆と衝突。
レース中のターンの際に多発する傾向にあります。
それもそのはず、選手は上位に食い込むためにターンマークのギリギリまでスピードを落としません。
その結果、ハンドルを取られたり角度を間違えて転覆。
一気に複数の選手が接近するので接触も起きやすい状況となってしまうのです。
この衝撃によって水面に身を投げ出されてしまい、打ちどころが悪かったり後続に轢かれてしまえば死に至ってしまう事もあります。
全国各地に存在する競艇場ですが、発生した死亡事故の件数は様々。
死亡事故が発生した競艇場と発生件数などをまとめてきたので、以下をご覧ください。
競艇場 | 件数 | 転覆率 | 亡くなった有名選手 |
---|---|---|---|
若松競艇場 | 4件 | 1.7% | 川添一夫、半田弘志、筒井博利、岩永高弘 |
江戸川競艇場 | 3件 | 0 | 宮本力、水野定夫、勝又勇 |
唐津競艇場 | 3件 | 0 | 横溝幸雄、大井手善信 |
津競艇場 | 2件 | 1.8 | 伊藤公二、木村厚子 |
鳴門競艇場 | 2件 | 2.1 | 小笠原政敏、蛇山清 |
大村競艇場 | 2件 | 0.9 | 花田龍美、一瀬隆 |
児島競艇場 | 2件 | 1.3 | 西塔莞爾、和泉定治 |
平和島競艇場 | 2件 | 1.6 | 石塚一雄、沢田菊司 |
過去に競艇で死亡事故が最も発生したのは若松競艇場。
発生件数は4件と非常に多いですよね。
これは競艇場側に決定的な原因があるわけではありません。
しかし、これだけの死亡事故が実際に起きたとなると不吉です。
偶然にしてはあまりにも多すぎるので、競艇場側に何かしらの対策は必須になってくるかもしれません。
競艇での死亡事故は長い歴史の中で繰り返されてきました。
命がけで戦っている選手たちには尊敬の念しかありません。
ここでは、残念ながら亡くなってしまった選手を一覧でご紹介!
以下にまとめてきたのでご覧ください。
選手名 | 享年 | 死亡日 | 競艇場 |
---|---|---|---|
西塔 莞爾 | 29歳 | 1953/1/7 | 児島競艇場 |
横溝 幸雄 | 34歳 | 1953/12/24 | 唐津競艇場 |
大井手 善信 | 20歳 | 1954/2/5 | 唐津競艇場 |
中島 常价 | 32歳 | 1962/1/6 | びわこ競艇場 |
小笠原 政敏 | 28歳 | 1962/7/25 | 鳴門競艇場 |
大西 昭 | 31歳 | 1963/7/9 | 常滑競艇場 |
川添 一夫 | 35歳 | 1965/2/22 | 若松競艇場 |
和泉 定治 | 40歳 | 1965/3/23 | 児島競艇場 |
中井 紘司 | 24歳 | 1965/12/23 | 芦屋競艇場 |
半田 弘志 | 29歳 | 1968/5/14 | 若松競艇場 |
中村 五喜 | 34歳 | 1968/10/14 | 唐津競艇場 |
蛇山 清 | 23歳 | 1970/11/1 | 鳴門競艇場 |
石塚 一雄 | 35歳 | 1972/11/12 | 平和島競艇場 |
池田 博 | 52歳 | 1973/10/7 | 多摩川競艇場 |
筒井 博利 | 31歳 | 1977/9/30 | 若松競艇場 |
一瀬 隆 | 27歳 | 1978/8/14 | 大村競艇場 |
花田 龍美 | 34歳 | 1981/8/24 | 大村競艇場 |
勝股 勇 | 38歳 | 1982/1/23 | 江戸川競艇場 |
安心院 信行 | 30歳 | 1983/1/24 | 三国競艇場 |
宮本 力 | 37歳 | 1985/1/3 | 江戸川競艇場 |
清水 正博 | 23歳 | 1989/1/6 | 桐生競艇場 |
水野 定夫 | 48歳 | 1993/11/22 | 江戸川競艇場 |
有吉 貴之 | 27歳 | 1997/9/4 | 津競艇場 |
伊藤 公二 | 55歳 | 1998/3/23 | 浜名湖競艇場 |
沢田 菊司 | 48歳 | 1999/11/6 | 平和島競艇場 |
木村 厚子 | 38歳 | 2003/5/25 | 津競艇場 |
中島 康孝 | 26歳 | 2004/3/28 | 尼崎競艇場 |
坂谷 真史 | 26歳 | 2007/2/26 | 住之江競艇場 |
岩永 高弘 | 36歳 | 2010/5/14 | 若松競艇場 |
鈴木 詔子 | 52歳 | 2013/11/2 | 下関競艇場 |
松本 勝也 | 48歳 | 2020/2/9 | 尼崎競艇場 |
小林 普 | 48歳 | 2022/1/12 | 多摩川競艇場 |
中田 達也 | 29歳 | 2022/11/6 | 宮島競艇場 |
木村 颯 | 25歳 | 2023/8/14 | 交通事故 |
競艇で初めて死亡事故が発生したのは1953年1月。
西塔莞爾選手が児島競艇場のレースに出走した際に起きた事故で亡くなっています。
そこから2年連続で死亡事故が発生。
1960年代には、8名ものボートレーサーが命を落としています。
ただ、時代が進むにつれて死亡事故の件数は減少。
2010年代は例年よりも少ない2件となっています。
完全に事故がなくなっているわけではありませんが、競艇で起き得る事故の対策ができている証拠と言えるしょう。
今後は0を目指して、さらなる対策を講じて欲しいものです。
長年国内のみならず、世界でも愛され続けている競艇。
日々命がけで戦っているボートレーサーの訃報があれば、ニュースとして大きく取り上げられます。
ここでは、特に大きな話題となった死亡事故を厳選してご紹介。
以下の9つのピックアップしてきたので、ぜひご覧ください。
それぞれについて詳しく解説してきます。
まず始めにご紹介するのは、2023年8月14日に発生した木村颯選手の死亡事故です。
木村颯選手は、2018年にデビューしたボートレーサー。
デビュー当時から新人とは思えない攻めた走りが魅力と言われていました。
端正なルックスを兼ね備え、男女問わず多くのファンが応援していたようです。
そんな木村楓選手に悲劇が襲ったのは2023年8月14日のこと。
山口県内で軽自動車を運転していたところ、普通乗用車と衝突して頭を強打してしまいます。
その後病院に搬送はされたものの、懸命な治療も虚しく25歳という若さでこの世を去りました。
中田達也選手は、2013年にデビューしたボートレーサーです。
デビュー直後から才能を発揮し、通算優勝回数は7回。
2021年には周年記念競争とヤングダービーの優勝戦に出場するなど、輝かしい実績を残しました。
そんな中田達也選手は、2023年にA1級への昇級が決定。
これからトップレーサーへの仲間入りを果たせると生き込んでいたその時でした。
2022年11月6日の宮島競艇で開催されたレースで落水してしまい、後続艇と衝突してしまいます。
すぐに緊急搬送されましたが、搬送先の病院で残念ながら亡くなってしまいました。
これからの活躍が期待されていただけに、中田達也選手の訃報は多くの競艇ファンの間で大きな話題となったのです。
小林晋選手は、1999年にデビューしたボートレーサー。
20年以上のキャリアを誇り、ベテラン選手として競艇界を牽引してきました。
そんな小林晋選手の事故が発生したのは、2022年1月12日の多摩川競艇で開催された一般戦。
他の艇と激しく衝突した小林晋選手は転覆してしまい、後続の艇に轢かれてしまいます。
病院へはすぐに搬送されましたが、小林晋選手が目を覚ます事はありませんでした。
松本勝也選手は、30年近いキャリアを誇ったベテランレーサー。
優勝回数は42回で、通算獲得賞金が9億7千万円と素晴らしい成績の持ち主です。
人望も厚くファンからは「かっちゃん」の愛称で親しまれるほどの人気っぷりでした。
そんな松本勝也選手がこの世を去ることになったのは、2022年2月の近畿選手権。
1大きな引波に飲み込まれ、松本勝也選は転覆してしまいます。
その後、後続艇に追突され意識不明の重体に。
病院に搬送されましたが息を引き返すことなく、そのまま亡くなってしまいました。
岩永高弘選手は、1996年にデビューしたボートレーサー。
小柄な体格ながら、パワフルな走りで多くの観客を魅了してきました。
デビュー当初こそ苦戦していたものの、6年目で悲願の初優勝を達成。
ビッグレースにも多く出場するようになり、選手として安定期に差し掛かった2010年に悲劇が襲います。
それは若松競艇で開催された「スポーツニッポン杯争奪」の1Rに出走した時のこと。
他の艇と接触した衝撃で身を投げ出され、勢いそのままに後頭部を後続の艇にぶつけてしまい心肺停止状態になってしまいます。
すぐに病院に搬送され、懸命な治療が行われましたが約2週間後に息を引き取りました。
坂谷真史選手は、デビューから僅か3年でG1とSGに初出場を果たした実力派のボートレーサー。
2004年に美人ボートレーサーとして有名な佐々木裕美選手との結婚報道で注目を集めていました。
公私共に順風満帆とも言える生活を送っていましたが、2007年2月26日に悲しい出来事が起きてしまいます。
それが住之江競艇で開催されたレース。
スタート直後から熾烈な2着争いを繰り広げますが、差しを狙いに行った際に他の艇と接触して転覆してしまいます。
その後、他の艇が乗り上げる形で衝突した事により、頭蓋骨骨折で帰らぬ人に。
妻である佐々木選手をはじめ、残された家族の気持ちを考えると悔やんでも悔やみきれません。
中島康孝選手は1999年にデビューしたボートレーサー。
2年目には勝率4点台を記録するなど、若くして才能を開花させました。
2004年には優出3回を記録。
A級の昇格が有力視されていた頃、中島康孝選手に悲劇が襲います。
それは2004年3月28日尼崎競艇5Rでのこと。
内から迫ってきた艇と接触して、外側へ追い出され観客席側の消波装置に激突してしまいます。
この衝撃によって命を落としてしまいました。
実はこの時、中島康孝選手は結婚したばかり。
これから幸せな家庭を築いていくという矢先での出来事だったので、何ともいたたまれない気持ちになりますね。
沢田菊司選手は長いキャリアを誇り「元祖デカペラ」という愛称で親しまれていました。
多くの競艇ファンから指示されていた沢田菊司選手ですが、1999年11月6日に事故に巻き込まれてしまいます。
それが平和島競艇で開催されたレースでのことです。
後方から上位を狙っていた沢田菊司選手は、前方の減速してきた艇と激突。
ボートから転落してプロペラに巻き込まれてしまう大惨事となりました。
その後、病院に搬送されましたが、多量の胸腟内出血により死亡が確認されています。
西塔莞爾選手は、競艇で起きた死亡事故の最初の被害者となってしまったボートレーサー。
70年以上も前の出来事なのであまり情報は出回っていませんが、どうやら試運転中に事故に巻き込まれてしまったようです。
不運な形でこの世を去ることとなってしまいました。
死亡後には、幽霊として競艇場に現れたと新聞で取り上げられた事もあったようです。
不運にも事故によって命を落としてしまった競艇選手たち。
選手本人や残された家族の気持ちを考えると、悔やんでも悔やみきれません。
心から御冥福をお祈りします。
ただその一方で、死に至ってもおかしくないほどの大事故でも一命を取り留めたといったケースも。
一体どのような事故で一命を取り留めたのでしょうか。
「死亡には至らなかったボートレーサーの大事故6選」をそれぞれ詳しくご紹介していきます。
ぜひご覧ください。
まず始めにご紹介するのは前田光昭選手が巻き込まれてしまった事故。
2020年11月6日に住之江競艇で開催された一般戦での出来事です。
3コースからスタートした前田光昭選手ですが、途中でターンマークに衝突してしまいます。
その影響で一気に減速をして、後方の艇が乗り上げるように接触。
前田光昭選手は、この衝撃により病院に搬送され「高次脳機能障害」と診断されます。
かなりの重症という事で引退も考えましたが、競艇への強い思いで復帰を選択。
自身を奮い立たせ、懸命なリハビリに励みます。
その結果、事故から約4ヶ月後に見事に復活を果たしました。
続いてご紹介するのは、川田正人選手が2021年8月27日に住之江競艇開催の優勝戦で発生した事故について。
6号艇の川田正人選手は好スタートを切って捲りを敢行。
しかし、5号艇の大須賀友選手が避けきれず、内側の3・4号艇を巻き込んでしまいます。
それに続いた、1・6号艇は回避できたものの、2号艇の金子龍介選手がエンストを起こし、1マーク付近でストップ。
最終的にゴールしたのは1号艇のみで、5艇を巻き込む大事故となってしまいました。
この事故によって2号艇の金子龍介選手は大怪我を負い、復帰することなく現役引退を表明。
金子選手としては悔しい引退となってしまいました。
次にご紹介するのは石川真二選手が巻き込まれた事故。
2022年2月2日芦屋競艇場で開催された【G3】アサヒビールカップの1日での出来事です。
イン屋として有名な石川真二選手は、このレースでもスタート直後から2コースに位置します。
しかし、モーターの性能が低かったのか、1周1マークで引き波に飲み込まれてしまい失速。
後続から来た艇が石川真二選手の頭に乗り上げるような形で衝突してしまいました。
その衝撃で石川真二選手は一時意識を失いましたが、命に別状はなかったとのこと。
命を落としてもおかしくなかった状況でしたが、犠牲者が出なかったのは不幸中の幸いと言えますね。
前田紗希選手が集中治療室に入るほどの大怪我を負った事故について。
これは、2023年7月18日の住之江競艇場で開催されたレースでの出来事です。
第1マーク付近で体勢を崩したところに、後続の艇が衝突し水面に転落。
すぐに病院に搬送され、手術が成功したことで何とか一命をとりとめました。
また、選手生命に影響を及ばすほどの怪我ではなく、約3ヶ月後には復帰できるとのこと。
不幸中の幸いとはまさにこのことですね。
この吉報には歓喜した競艇ファンも多かったようです。
元気な姿で出走する前田紗希選手が待ち遠しいですね。
続いて紹介するのは、大山千広選手がレース後に緊急搬送された事故について。
2022年10月24日の丸亀競艇でのレースにて落水をしてしまいます。
以下の動画をご覧ください。
レース直後に病院に搬送された大山千広選手。
命に別状はありませんでしたが、骨盤骨折の重症を負ってしまいました。
しかし、約4ヶ月間の長いリハビリを経て、レースに復帰。
この様子をYouTubeで元気に報告していました。
この動画が公開された2ヶ月後には、徳山競艇で開催されたレースで復帰後初優勝を飾りました。
ブランクを感じさせない走りで安堵した競艇ファンが多かったのは言うまでもありません。
大山千広選手の今後の活躍にも乞うご期待です!
最後に紹介するのは、西橋奈未選手が転覆してしまった事故について。
2022年8月11日にびわこ競艇場で出走したレースでの出来事です。
引き波に乗って、転覆してしまった西橋奈未選手。
幸い命に別状はなかったものの、顔面を10針縫う大怪我を負ってしまいます。
回復は早かったものの、顔に傷がつくというのは女性にとって本当に辛いこと。
「しばらくは外も出たくないほど大きなショックを受けた」と精神的に苦痛だったことを語っています。
そのような状況の中、驚異の精神力で怪我から約2週間後福岡競艇で開催されたレースで見事復帰。
同年10月のオールレディースでは優出を果たすほどの活躍を見せました。
競艇で起きた事故を乗り越え、現役復帰を果たした選手たち。
その驚異的な精神力には多くの競艇ファンが魅了されたことでしょう。
そのような中、忘れてはいけないのが不慮の事故で惜しくも命を落としてしまった選手たちのこと。
これはレディース戦でも例外ではありません。
ここでは、女子競艇選手の死亡事故についてご紹介。
それぞれ詳しく解説しているので、ぜひご覧ください。
木村厚子さんは1985年デビューのベテランボートレーサー。
デビュー当時はかわいらしい顔立ちから「競艇界のニューアイドル」という愛称が付けられるほどの人気でした。
さらには、通算出走回数2,028回のうち1着回数は254回で、勝率は5割と実績も十分。
そんな木村厚子選手が巻き込まれた事故は、2003年5月24日の津競艇場で開催された7レースに出走した時のことです。
1号艇として出走した木村厚子さんは、第1ターンマークを1着で通過するなど快調な走りを見せます。
しかし、2周目の第1ターンマークを回った際に突如失速。
これにより後続の艇が木村厚子さんの艇に乗り上げる形で衝突してしまいます。
この衝撃により水面に見を投げ出され、別の艇に接触。
病院に緊急搬送され、頭蓋骨損傷と脳挫傷によって翌日の25日に死亡しました。
鈴木詔子選手は30年以上のキャリアを誇り、通算出走回数は4,700回と競艇界に貢献してきました。
しかし、2013年11月2日の下関競艇場での練習時に不運に見舞われます。
テスト走行を行うため所定の位置にボートを移動させようとしていた鈴木詔子選手。
すると突然、ボートが物凄いスピードで急発進したのです。
これによって制御不能状態に陥り、2マーク奥のコンクリート壁に激突してしまいます。
その結果、脳挫傷によって死亡してしまいました。
この死亡事故について「ベテランの鈴木選手がこんなミスをするはずがない」と大きな話題に。
ボートが急発進した原因については未だに明らかになっていないようです。
やまと競艇学校は、競艇選手を目指す若者が入学する養成所。
そんなやまと競艇学校で2016年5月19日に死亡事故についてご紹介します。
競艇選手を目指し、練習を行っていた水城佑理さんが乗るボートに他のボートが接触。
その後、久留米市内の病院に搬送されたものの、帰らぬ人となってしまいました。
水城佑理さんは養成所内でも高く評価されており、その実力はテレビ番組に取り上げられるほど。
本当に残念としか言いようがありません。
競艇界の将来を担う生徒たちの夢を奪わないように、やまと学校には再発防止に取り組んでほしいですね。
今回は競艇で実際に起きた死亡事故についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか。
ポイントをまとめると以下の通りです。
最速80kmとスピード感のある展開が魅力の競艇。
多くのファンが魅了されてきましたが、常に危険と隣り合わせの競技であるということを忘れてはいけません。
事実、これまでに死亡事故は多発しており、数々の名選手が犠牲となってきました。
防護服の改良や安全指導の強化などで発生件数は減少していますが、完全に防ぐことは不可能。
競艇を命がけで盛り上げている選手の命を奪うような事故を2度と発生させないためにも、運営には再発防止に尽力してほしいですね。